根知谷というところへ行くのは初めてなので、
一体どんなところなのか、イメージがつかないのですが、
大糸線というローカル線の名前を聞いた途端に、
何だか雪深い、すごい田舎に出掛けて行くのだといういう気持ちになりました。
12月14日、
前日から強い寒波が日本列島を被い、
糸魚川を出発した大糸線は、
間もなく、しんしんと降る雪景色のなかに潜り込んでゆきました。
2両編成のワンマン列車の車両には、
静かに座っている地元の老人と、
ローカル線マニアとおぼしき数名の中年男性。
白一色に塗られた静かな景色は、
それは美しいものでした。
糸魚川から3つめの駅が「根知」。
雪の積もったホームにひとり降り立った私は、
「駅員屋(ぽっぽや)」の高倉 健になったような気分です。
電車を見送って無人の駅舎へ向かうと、
今日の目的地、根知谷の醸造家が、にこにこと笑って立っていました。
「まぁ、えらい天気のなか、よくお越しくださいました。」
根知谷という、東京からは距離以上に離れて感じる土地で、
これまでの酒蔵とは次元の違う酒造りをしている酒造家がいるという話は聞いていました。
自分で米を作り、酒を造る。
そこまでのことであれば、他にも、もっと大きな規模で本格的に取り組んでいる蔵元があります。
しかしこの酒造家は、それを徹底している。
つまり、「根知谷で、自分で作った米でしか造れない酒を造る」
というところまで踏み込んだ酒造りをしているというのです。
これ、言うのは簡単ですが、なかなか出来ることではありません。
本当か~?、と思うのが当然。
米の品質を、誰もが納得できるレベルで酒の味にまで実現するという作業です。
「確かにこの米で造った酒は違う」と、ガッテンしてもらえるって、凄いことです。
だから、この蔵の酒を初めて飲んだ時、正直びっくりしました。
えっ? 全然違う。
五百万石って、硬くてちょっと淡白だと思っていたのに、
ここの酒は、ねっとりとしてボディと複雑味がありました。
ここまで違えば、誰にだってわかる。
その時から、根知谷に行って、この醸造家に会うことを強く願うようになりました。
さて、この後、約半日をこの蔵元で過ごしました。
普通、蔵にお邪魔すると、
ひととおり蔵を見て、酒をきいて、お話をしてから、
近くでお昼でも食べましょうとなって、バイバイ というのがパターンです。
しかし、私は結局製造設備は見ることなく、
ひたすらこの醸造家とお話をして何時間もの時を過ごしました。
この蔵について話をしろと言われれば、結構話ができると思いますよ。
でも、あまりここでだらだらと書く気にはなれません。
ただ、根知谷にはすごい醸造家がいるぞ、ということ。
そして、彼の目指している世界は、清酒の価値を根本的に変えて、
堂々と世界に通用する酒にする可能性を持ち、
全国にいる志の高い醸造家達の未来を拓くものだと、
私は確信しました。
色々な人に伝えたい。
久しぶりに感じた思いです。
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