2015年2月17日火曜日

伝統?革新?

高名なアメリカ人の酒ジャーナリスト ジョン・ゴントナーが主宰する
酒プロフェッショナルコース・アドバンスクラスで講演をする機会を貰いました。

彼は日本でこのセミナーをやることにこだわっていて、
毎年、世界各国から沢山の受講生が日本にやってきます。
今年も30名位の受講生が参加していました。
高いお金を払って、
本当に熱心に勉強する姿勢に胸を打たれます。

日本の流通や料飲店も、
もっともっと熱心に勉強するべきです。
日常的に、当たり前にそこにあるものに対して、
改めて真剣に向き合うのは、ちょっと違和感があるのかもしれません。
海外で酒に出会った人達は、
未知の世界に出会う喜びのようなオーラを
全身から発しています。

「昔から日本の文化に興味があって、
着物を集めたり、マンガを読んだりしてきました。」

「日本の食べ物の奥深さにはまってます。」

色んな声が聞こえます。
一様に、日本に来て、本物の文化にどっぷりと漬かれることを
心から楽しんでいるという雰囲気が素敵です。

このような知や体験への欲求は、
前向きな行動のモチベーションになります。
こういう姿勢が、私は好きなんだなぁ。
物事を斜めから見たり、
裏で批判したり、
そんな負のオーラを発しても、
何の役にも立ちませんから。

さて、私の講演に対して、
色々な質問を頂いたのですが、
それを聞いていて感じたことがあります。
海外の人の方が、
日本の伝統産業が酒が本質からずれていくことに危惧を持っていて、
本来のど真ん中にこだわっているということです。

例えば、
食文化が西欧化していくことや、輸出が増えることで、
世界の様々な国の人の味の好みに変質していくこと。
本来の形があったものが、
様々に味を変えてゆくことを、日本人が危機と感じていないのか、とか。

至極まっとうなご意見だと思うのです。
確かに、今の若い造り手達が、様々な新しい試みをしています。
その結果、すごく香りの強い酒や、
酸が太くて、こってりとした旨みの強い生原酒や、
リンゴ酸のジューシーな酸味に溢れた酒だとか、
若い世代や女性が好むタイプの酒は、
かなり昔のスタンダードと変わってきています。

文化としての酒を語る時に、
それは良いことなのかどうか、
考える人がいても良いような気がしました。

私は変化することは大いに良いことであると思っています。
たとえ、伝統の本質からずれていったとしても、
造り手や飲み手の心の中にあるものが清酒であれば、
それが新しい伝統に繋がっていくものだと思うからです。

恐らく日本人は皆そう思っているでしょう。
伝統とは革新の連続である、という老舗の言葉が、
本質であると知っているからです。
でも、
改めて外国の人から、
真剣な顔をしてそんな質問をされると、
思わずフームとうなってしまうのです。

外の世界を知るという作業は、
本当に楽しい。

2015年2月10日火曜日

硬水で醸す酒

硬水・軟水といいますが、
日本は山の多い国ですから、
ほとんどの水は飲みやすい軟水です。
きれいな山の水であるほど、そのまま飲んで美味しい軟水。
田舎に行っておいしい山水を飲むと、
あぁ、日本人に生まれて良かったと、しみじみ思います。

一方で、硬水で酒を造っていますという蔵元には、
実はなかなか出会うことがありません。
もちろん、日本を代表する酒の産地である灘の宮水は硬水で知られています。
でも、それ以外は、
たまにポツポツと出会うくらいでしょう。

硬水の湧く地域というのは、
一概には言えませんが、
比較的、山と海の境目というイメージがあります。
山の水と海の水がせめぎあったところに湧き出す水。
海のミネラル分が染み込んだ水。
時に、これ塩化ナトリウムじゃないの?
と思うくらい塩辛い水に出会うこともあります。

そんな、
どちらかと言えば珍しい硬水で酒を醸す千葉県の2蔵に行ってきました。
ひとつは、いすみ市大原の木戸泉酒造。
もうひとつは、隣町の御宿にある岩の井酒造。
木戸泉は硬度8~9の中硬水、
岩の井は硬度13~15の硬水。
いずれにしても立派な硬水醸造の蔵です。
特に岩の井の水は、飲んだだけで誰にもわかる硬水です。

どちらの蔵も、
国税庁技官の古川 董(ただす)先生に技術指導を受け、
古くから熟成して美味しくなる酒を目標に酒造りをしてきました。
「兄弟蔵みたいなもんです」 と木戸泉の荘司社長はおっしゃっています。

熟成して美味しくなる酒とは、
力強い酸味が酒の外枠を形取り、
複雑味のある味わいと、ほのかな甘みのある酒。
いずれにしても、
今流行っている若く生で飲んで美味しい酒とは、
根本的に目指す酒質がちがっています。

時代に媚びない酒を造り続けるのは、
実はとても度胸がいることだと思うのです。
自分の造る酒を信じて、
どんどん売れる酒を、敢えて造らないのは、
外から見れば無神経とも言える度胸が必要です。

おおらかで感性豊かな田舎人というタイプの荘司社長と、
繊細で物静かな岩瀬社長は、
全然違う二人ですが、
おおらかさや物静かさの底に、
とても強い芯を持っておられるのでしょう。

こういう蔵の酒を味わっていると、
「酒は人なり」 と、つくづく思わされます。
日本人のハートには、
この武士のようにストイックな精神が刺さります。

硬水であれ軟水であれ、
水の味は千差万別。
でも、折角縁あって与えられた硬水の個性を、
生かし切った酒造りを続けて欲しいと願います。

2015年2月7日土曜日

東京港醸造

流通が進歩して、遠方からのチルド輸送が可能になったとはいえ、
生酒の流通にはどうしても心配が残ります。
流通過程での温度変化は、本来の酒のフレッシュ感を損ない、
熟成の進行を止めることができません。

一番美味しい酒を飲もうと思ったら、
蔵元で飲むしかない、というのが本来の生酒であると思います。

少し前の新酒は、粗くて、落ち着きがなくて、
しばらく置いてからでないと、とても飲めないものでしたが、
最近ではフレッシュな状態で飲む酒を造る蔵元が増え、
搾ってすぐに飲める軽快な生酒が流通するようになりました。
軽快でジューシーな生酒は、
今の清酒ブームを牽引する存在です。

醸造設備も進み、コンパクトな四季醸造蔵が現れました。
蔵元一人で酒を造り、一年中生酒しか造らないという
実に現代的で合理的な酒造りが行われるようになっています。
酒造りは、地方の1000坪もある歴史的建造物で行う時代ではなくなってきました。

こうなれば、
大消費地である東京に清酒のミニブルアリーが出来なくてはおかしい。
そう思っていました。
そこでしか飲めない魅力的でバラエティーに富んだ生酒。
レストランを併設して売店を置けば、必ずビジネスになる気がします。

クラフトビールが、着々と市場を広げています。
ミニブルアリーも増えています。
私の近所にある 「荻窪麦酒工房」は、
ほんの小さな一軒家で、ドラム缶のようなタンクに5種類のビールを仕込み、
いつも新しいフレーバーの楽しいビールを飲ませてくれます。
ペットボトルを持参すれば、量り売りしてくれるので、
家で出来たての生ビールを飲むこともできるのです。

クラフトビール先進のアメリカでは、
すでに数千軒のミニブルアリーがあると聞きます。
日本の市場も、間違いなく伸びると思いますし、
一大ブームになる可能性もある。

清酒業界は何をやっているのだろうと、イライラしていました。
そうしたら、あったのです。
東京港醸造。
三田駅から10分ほど歩いたビジネス街のど真ん中に、
まさにミニブルアリーという規模の醸造所がありました。

聞けば、既に4年前から営業していたとのことですから、
私の情報不足としか言いようがないのですが、
とにかく、200年前の江戸時代から、芝で酒造りをしてきた若松屋という蔵元が、
明治末期に廃業していたものを7代目・8代目の親子が復活させたという醸造所です。

但し、廃業の際に清酒免許を返上しているために、
現在も「その他醸造酒」の免許にて どぶろく を製造しているのです。
長く黄桜で製造をしていた寺澤善実さんを杜氏として迎え、
本格的などぶろくを造っておられます。
プロの造るどぶろくですから、
経済特区の民宿で造られるどぶろくとはレベルが違います。

早く、美味しい清酒の生酒が飲みたい。
そして、まだまだ清酒の楽しさを知らない多くの東京人たちに、
清酒を飲む楽しさと、奥深さを教えて頂きたいと、
心から応援したい気持ちになりました。

東京の人は、まず一度訪れてみて下さい。
少しわかりにくい場所ですが、
東京のど真ん中です。



2015年2月6日金曜日

渡舟

渡船。
清酒の仕事に携わっている方なら、聞いたことのある酒米の名前です。
でも、聞いたことはあるけど、あまり良く知らない。
そんな少し興味をそそられる米です。

渡船は、有名な山田錦のお父さんです。
山田錦を調べると、父が短稈渡船、母が山田穂とあります。
短稈とは、丈の低いという意味。
山田錦はあんなに有名なのに、
考えてみると渡船も山田穂も、あまり多く使われている印象がありません。
何故だろう。
そんな小さな疑問を持って、
この渡船で有名な茨城県の「府中誉」を訪問しました。

府中誉㈱があるのは茨城県石岡市。
茨城なのに何故「府中」なのだろう、という素朴な疑問は、
きっと多くの人が持つはず。
私の無学をさらすことになりましたが、
石岡の歴史は古く、平安時代から東国の経済拠点として栄えていた町ということです。
経済の中心地としての「府中」。
確かに石岡の街並みは歴史を感じさせる雰囲気を持っています。

安政元年創業の蔵元の建物も歴史を感じさせる重厚なものでした。
広い瓦葺きの屋根、土蔵、広い車寄せのある店。
一般に知られている以上に、
茨城県の東北大震災による建物の被害は大きかったのです。
府中誉の建物も、ほとんどの瓦を葺き替える必要がありました。
私たちは、知らないことが本当に多い。

社長の山内孝明さんから、
府中誉の酒と酒米「渡船」の由来をじっくりと聞かせて頂きました。

東京での勤めを辞して蔵に戻ってきた頃、
まだ地元の米で酒を造るということが今ほど一般的ではありませんでした。
山内さんは、何とか地元に根付いた米作りから始まる酒造りを目指したいとの思いで、
最初は山田錦の栽培に取り組んだそうです。
ただ、正面切って堂々と取り組んだのが裏目に出て、
種の県外流出に神経を尖らせる兵庫県からの行政圧力を受けてしまい、
断念せざるを得なくなってしまいました。

落胆していた山内さんのもとに、
地元の農家から、昔「渡船」という酒米を作っていたという情報が入りました。
そこから、新しい夢に向かった山内さんの取り組みが始まります。
種籾を求めて、農水省の農業生物資源保存機関である Genebank に交渉し、
2年かけてようやく14gの種籾を手にして、1坪の栽培をスタートしました。

米を育てるだけなら出来ることですが、
一定の作付け面積を確保して酒米として使用するには、様々なハードルがありました。
一般的なコシヒカリに比べて極端な晩稲品種である渡船は、
水利の時期が異なるため、新しい耕作地を探す必要があります。
結局、地元から30分ほど離れた八郷町の農家との契約にいたり、
現在にいたっているとのこと。
府中誉の使用総米の約60%で、
純米吟醸から大吟醸まで、ほとんどの酒を渡船で造っておられます。

ゼロからここまで積み上げてきた渡船に対する思いの深さは、
想像するに余りあるものです。
きっと自分の子供のように思えるものでしょう。

私は、このように頑張ってこられた方のお話には
手放しで感激してしまいます。
応援したくなります。

酒は人なり。
酒は、それを造り上げた人を映す鏡のようなものです。
その一滴の酒を造るために積み上げてきた様々な過程が、
必ず、飲む人に伝わる、不思議な飲み物です。

米のひと粒から、搾りあげる一滴の酒まで、
すべての工程に、一切妥協を許さぬ厳しさが求められますが、
しかし、その努力がカタチとして飲む人に伝わるのなら、
造り手は、その笑顔を糧に日々の努力に励むことができるでしょう。

府中誉 「渡舟」 の味わいについては、
飲んだ方の気持ちにおまかせします。
きっと、蔵元の気持ちが伝わる素敵な酒であると確信しています。