2015年2月6日金曜日

渡舟

渡船。
清酒の仕事に携わっている方なら、聞いたことのある酒米の名前です。
でも、聞いたことはあるけど、あまり良く知らない。
そんな少し興味をそそられる米です。

渡船は、有名な山田錦のお父さんです。
山田錦を調べると、父が短稈渡船、母が山田穂とあります。
短稈とは、丈の低いという意味。
山田錦はあんなに有名なのに、
考えてみると渡船も山田穂も、あまり多く使われている印象がありません。
何故だろう。
そんな小さな疑問を持って、
この渡船で有名な茨城県の「府中誉」を訪問しました。

府中誉㈱があるのは茨城県石岡市。
茨城なのに何故「府中」なのだろう、という素朴な疑問は、
きっと多くの人が持つはず。
私の無学をさらすことになりましたが、
石岡の歴史は古く、平安時代から東国の経済拠点として栄えていた町ということです。
経済の中心地としての「府中」。
確かに石岡の街並みは歴史を感じさせる雰囲気を持っています。

安政元年創業の蔵元の建物も歴史を感じさせる重厚なものでした。
広い瓦葺きの屋根、土蔵、広い車寄せのある店。
一般に知られている以上に、
茨城県の東北大震災による建物の被害は大きかったのです。
府中誉の建物も、ほとんどの瓦を葺き替える必要がありました。
私たちは、知らないことが本当に多い。

社長の山内孝明さんから、
府中誉の酒と酒米「渡船」の由来をじっくりと聞かせて頂きました。

東京での勤めを辞して蔵に戻ってきた頃、
まだ地元の米で酒を造るということが今ほど一般的ではありませんでした。
山内さんは、何とか地元に根付いた米作りから始まる酒造りを目指したいとの思いで、
最初は山田錦の栽培に取り組んだそうです。
ただ、正面切って堂々と取り組んだのが裏目に出て、
種の県外流出に神経を尖らせる兵庫県からの行政圧力を受けてしまい、
断念せざるを得なくなってしまいました。

落胆していた山内さんのもとに、
地元の農家から、昔「渡船」という酒米を作っていたという情報が入りました。
そこから、新しい夢に向かった山内さんの取り組みが始まります。
種籾を求めて、農水省の農業生物資源保存機関である Genebank に交渉し、
2年かけてようやく14gの種籾を手にして、1坪の栽培をスタートしました。

米を育てるだけなら出来ることですが、
一定の作付け面積を確保して酒米として使用するには、様々なハードルがありました。
一般的なコシヒカリに比べて極端な晩稲品種である渡船は、
水利の時期が異なるため、新しい耕作地を探す必要があります。
結局、地元から30分ほど離れた八郷町の農家との契約にいたり、
現在にいたっているとのこと。
府中誉の使用総米の約60%で、
純米吟醸から大吟醸まで、ほとんどの酒を渡船で造っておられます。

ゼロからここまで積み上げてきた渡船に対する思いの深さは、
想像するに余りあるものです。
きっと自分の子供のように思えるものでしょう。

私は、このように頑張ってこられた方のお話には
手放しで感激してしまいます。
応援したくなります。

酒は人なり。
酒は、それを造り上げた人を映す鏡のようなものです。
その一滴の酒を造るために積み上げてきた様々な過程が、
必ず、飲む人に伝わる、不思議な飲み物です。

米のひと粒から、搾りあげる一滴の酒まで、
すべての工程に、一切妥協を許さぬ厳しさが求められますが、
しかし、その努力がカタチとして飲む人に伝わるのなら、
造り手は、その笑顔を糧に日々の努力に励むことができるでしょう。

府中誉 「渡舟」 の味わいについては、
飲んだ方の気持ちにおまかせします。
きっと、蔵元の気持ちが伝わる素敵な酒であると確信しています。

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